「ライモンダ」5日目の公演を観る。
今回は、牧阿佐美芸術監督の演出による公演である。
“ライモンダ”は、新国立劇場初主演になる寺島ひろみ。入団2年目である。寺島は、ワガノワ・バレエスクール出身で、ドレスデン・バレエを経て新国立入りしたダンサーである。小さな顔、すらりと背が高く、手足も長い、とプロポーションに恵まれている。ひとつひとつの振付を大きなミスもなく丁寧にこなしていた。しかし、まだライモンダという女性の内面の描写までは、手が回っていない様子だった。ヘンリエット、クレメンス、ベルナール、ベランジェたちに守られている妹、という感じだ。アブデルラーマンに言い寄られている時も、困惑している様子がいかにも可憐なのだ。しかし私は、ライモンダという女性は、(高貴な身分の女性ならではの矜持と気品に裏打ちされている)偉そうなお嬢様、という印象をもっているので、これが表現できるようなるよう、より一層の精進を重ねてほしい。それでも、2001年の3幕のみの上演の時のアナスタシア・ゴリャーチェワよりはずっと好演だったと思う。
“ジャン”は森田健太郎。昨年、膝の半月板を損傷した、と聞いた時は、どうなるかと心配したが、主役復帰できて良かった、と思う。踊りが前より綺麗になった気すらした。(個人的には、小嶋直也の威厳に満ちた“ジャン”が好きだけど)相変わらず、“イイ人”キャラで、サポートも上手くやっていた。
“アブデルラーマン”は、配役発表前に、多分この役に起用されると予想していたガリムーリン。だが、これが一番アタマが痛かった。芸術監督は、アブデルラーマンについて、ジャン同様にライモンダに恋する一人の男性として描き、いつの時代にも、誰の間にも、起こり得る普遍的な男女の恋愛模様として描きたい、と、述べられていたので、期待していた。しかし、コトバの捉え方の相違、だったのだろうとは思うが、私の意識とは相容れないものだった。
ガリムーリンは、先述のゴリャーチェワと組んでジャンを踊った時は、ミスキャストもいいところだったから、アブデルラーマンのほうが適役だとは思ってはいた。しかし、あんな扱いはないだろう、と思う。芸術監督の抱負のとおりなら、(ライモンダへの愛の深さという点において)この役はジャンと同等くらいの印象を残してもいい筈。でも、プロローグで愛を誓い合うライモンダとジャンを物陰で見てる、というのは却って敵役であることを印象付けているし、第一、踊りが問題である。観る前から聞いてはいたのだが、このアブデルラーマンはあまり踊らない(ガリムーリンに4日間も踊ってもらう為、セーブしたのか?と疑うくらいだ)。これでは、もう一人の魅力的な男性、に見立てるのは苦しい・・・・・その代わり、部下(サラセン=厚木三杏、大森結城、川村真樹/スペイン=遠藤睦子が素晴らしい。ことに遠藤は、この踊りなら、来る「ドン・キホーテ」でも“ジュアニッタ”ではなく、“踊り子”をやって欲しい)が活躍する。キャラクテール・ダンスの素晴らしさを認めつつ、釈然としない思いが残る。そして、決闘はあっけなく終わり、めでたしめでたし、になる。ため息、そして憤り・・・・・果たしてゲストに踊ってもらう必要があったかのか?(テューズリーは好演してたそうだが)
友人達は、それぞれ好演だったが、この演出は新国立が女性上位のカンパニーだけに、それを反映している。スター性抜群で人気の高い真忠久美子はゆったり系のソロ、たおやかさと芯の強さを併せ持つ西山裕子はきびきびとしたソロ、と、それぞれ見せ場があり、これは満足できた。できれば、西川ヘンリエット=湯川クレメンス、さいとうヘンリエット=高橋クレメンスも観たかったが。
それから、チャルダッシュの女性ソロの大和雅美が、いい意味でけれん味のある舞台人としての素質を見せている。やはり、ここのバレリーナの陣容はわが国のバレエ団でも随一だと思う。
グランパクラシックも、2001年の時と比べ、雲泥の差だ。
何よりもスピナテッリの手によって新しくなった美術がいい。
その他では、豊川美恵子の伯爵夫人はさすがだと思ったが、私は鳥海清子の伯爵夫人が観たかった。鳥海は、こういう役では不動の存在感を見せていたので。それから、友人達の中に、中村美佳がいないのが淋しい。中村が加われば、踊りの質がより良かっただろう。
演出には結構文句を言ったが、寺島を中心に纏まったいい公演だったと思う。
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