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モーツァルト オペラ「後宮からの逃走」

日時:1991年9月22日

場所:日生劇場

 

配役

コンスタンツェ・・・・・・・釜洞祐子

ベルモンテ・・・・・・・・・小林一男

ブロンデ・・・・・・・・・・番場ちひろ

ペドリロ・・・・・・・・・・五十嵐修

オスミン・・・・・・・・・・佐藤征一郎

セリム・・・・・・・・・・・竹沢嘉昭

 

指揮=飯守泰次郎

演出=鈴木敬介

 

 

   1991年の「後宮」
 

13年前のモーツァルト・イヤーの公演である。実は、私がオペラに目覚めるきっかけになった作品である。しかし、専門家に言わせると、かなりの難曲とのことで、わが国での上演は少なく、新国立劇場でも、未だ1度も上演されていない。

舞台は、トルコのハーレムで、海賊にさらわれて売り飛ばされた恋人を救いに行く、というお話で、モーツァルト本人の結婚物語、とも(笑)

オペラに造詣の深い方が読んだら、「何をバカな」と思われるかもしれないけど、当時感じたままに書き残そう、と思った。

コンスタンツェ役の釜洞祐子さんは、当時はドイツのカッセル劇場の契約歌手で、同劇場では、夜の女王、コンスタンツェ、ロジーナ、オランピアなどのコロラトゥーラの難役のスペシャリストとして活躍していたが、もとは、演出の鈴木さんが「魔笛」の夜の女王に抜擢してプロ・デビューした、という経歴がある。何しろコンスタンツェは全幕聴かせどころ満載の役だし、多くの観客が、ドイツ仕込みの彼女の歌を楽しみにしていたようで、事実、2幕のソプラノ・コンチェルトともいうべきハ長調のアリアは大いに沸いた。しかし、実は、聴衆や批評家は、彼女の技術の高さに対して沸いたのであって、内面にはあまり目をむけていなかったかも。

そう感じた理由は次のようなことである。

私が衝撃を受けたのは、小林さんのほうである。批評家はあまり良いことを書かなかったが、これは納得しかねる。多分、声のパワーとか濃さ、という点で不満アリ、と言いたいのだろうが、舞台人としてあれほど所作の美しい人は滅多にいない。そこはかとない哀しみとか、えもいえぬ官能性をにおわすのも。澄み切ったリリカルな美声は胸に染み入るし、アニメ大好きっ子だった私には、地のせりふを話す時の、水島裕氏や三ツ矢雄二氏を思わせる言い回しとか、大喜びして・・・・・。パートナーである釜洞さんとも素晴らしく相性がいいし、だから観てて感情移入できたし、歌と演技が良く溶け合って、ベルモンテが命がけでコンスタンツェを救いに来たのが、よくわかる出来、だと思った。

でも、当時の評論で、そういうことは誰も言わなかった。

ブロンデは儲け役であるが、当時はライン・ドイツ・オペラの座員だった番場千尋さんが闊達に演じ、大いに拍手をもらっていた。ちょっと生意気だけど、一途なお嬢様を親身に心配し、一方で、ペドリロとオスミンを手玉に取る頭の良いブロンデ、だった。

オスミンの佐藤さんは、二期会の「メリー・ウィドウ」でも爆笑を誘っていたが、ここでも貫禄十分、「建築技師?地上げ屋じゃないのか??」というアドリブは今、思い出しても笑える。バッカス万歳!は、94年のNHKのニューイヤーコンサートでも歌ったが、ノリノリで、最後は椅子ごと片付けられてしまうのがおかしい。オスミンは、モーツァルトが力をいれて作った役だけに、これがヘボだとオペラは台無し、になるから、佐藤さんは実に頼もしかった。

ペドリロの五十嵐さんは、シリアスな役が多いが、この日はコミカルな役。でもおかげで、3幕のロマンツァは聴き応えあり、だった。今もあの哀調あるメロディを思い出す。

セリムの竹沢さんは、名バイプレーヤー。せりふの言い回しがとにかく味があって上手い。色っぽいハーレムの主を期待した方には、つまんない、と思ったかもしれないけど。

随分わかりにくい文章になったが、当時の感想を素直に思い出したら、こんなふうになった。あのときのことは大事にしたいので、あえてそのままで残したいから。

クョスコニョ    [1] 
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