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 ネイガウス語録 
 ショパンコンクールに出たかったのに! 
 音楽の背景にあるもの 
 リヒテルが語る 

目次

 

ネイガウス語録

 

ショパンコンクールに出たかったのに!

 

音楽の背景にあるもの

 

リヒテルが語る

   礼賛・スターシク
 

ピアノ奏者。

リヒテルやギレリスの師であったモスクワ音楽院の名教授・ピアニスト、ゲンリヒ・ネイガウス(1888〜1964年)を父として、1927年3月21日モスクワに生まれた。

しかし、6歳の時から、母(ジナイーダ・ニコラーエヴナ)が再婚した詩人で作家のボリス・パステルナークのもとで育った。

グネーシン音楽学校で、ヴァレリア・リストワに師事。父ゲンリヒからは、モスクワ音楽院に入学した後、初めて教えを受けた。同音楽院には、5年間在籍し、その後、ピアニストとして広く活躍する傍ら、母校の教授として、後進の指導に力を尽くした。

1974年11月に来日し、父子相伝の名ピアニストであることを証示したが、1980年1月24日、モスクワで没した。

父ゲンリヒは、ドイツ人とポーランド人の混血児としてロシアに生まれ、帝政時代の同国のピアノの名手フェリクス・ブルメンフェリトに学び、ドルトムントでデビューした。ウィーンでは、ポーランドの大家ゴドフスキーにも師事した。

スタニスラフ・ネイガウスは、このような両親の多面的な血を引いて、国際的な感性と西欧的な洗練を併せ持ち、またパステルナークの影響による詩的ファンタジーを演奏上の大きな特質としている。特にスクリャービンの作品は、この作曲家と親交のあった父と同様に、彼の最も得意とする演奏曲目であった。

クョスコニョ    [1] 
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You Tubeというサイトで、スタニスラフ・ネイガウスの動画を見つけました。曲は、スクリャービンの練習曲作品42-5嬰ハ短調です。私は、これを「人魂のような青白い炎」と勝手に呼んでいるのですが、ここでのスターシクの演奏は、「いのちの赤い炎」と言ったほうがいいような演奏です。録音年代は、1966年11月29日となっていました。ご覧になりたい方はYou Tube(英語サイトです)で、Neuhausで探してみてください。

 

ネイガウス語録より

 

「モーツァルト、後期のベートーヴェン、ショパンなどのピアノ作品を素晴らしい演奏で聴いているとき、それはもはやピアノの響きではなく、人々や人生への崇高な善意と愛情に満ち溢れた魂の肉声のように思われるでしょう。このような霊感の宿った状況に近づくためには、演奏者は作品への限りない誠実さと愛情が不可欠です。このことだけが、演奏において作品の物質性(それ自体がそんなに入念に作られ、美しいものであっても)が作品の精神性を超えないように、ごくわずかでもイントネーションが偽善的に響かないように演奏者を守り、音楽の真実および本質と、これらの作曲家の作品を演奏する際に不可欠な「演奏者の自己」の表出の自由度を探る手助けとなるのです」By スタニスラフ・ネイガウス